らむねむら

日々の暮らしの中で気づいたことや感じたことを、自由に、気ままに綴っていきます。

今更ながら、生命の神秘を感じました(大袈裟かな。。)

ブログもしばらくご無沙汰してしまいましたが、久しぶりにベランダ栽培を再開しました。一時期、ハーブ系を中心に少しベランダ栽培をやっていましたが、なんといっても「枯らし名人」だったものですから💦、ダンナさんの冷たい視線に耐えきれず、一度すべて整理しました。テレワークになって、お世話の時間も取れそうになったため、こっそり再開しちまいました(*^-^*)

ブログでもご紹介したセローム(トトロン)やオリーブ(オリック)は順調に大きくなってくれていて、癒しを与えてもらっているのですが、今回は実用的な(?)ものとして、まずはパクチールッコラに挑戦しました。ルッコラは以前も経験があり、その成長力に驚かされましたが、パクチーは初めて。パクチー好きとしては、なんとか成功させたいと思っています。

約2週間前に種まきをして、現在の様子がこちらです。

ぞれぞれ左がパクチー、右がルッコラです。

種の大きさはルッコラの方がパクチーよりもずっと小さいのに、ルッコラは種まきから3日ほどで芽が出始め、少しずつ大きくなっています。パクチーはなかなか芽が出ず、ダメかと思っていましたが、種まきから10日以上経ってようやく芽が出てきました。どちらも小さな種の中に、皮を破って発芽し、頭上の土を突き破って地表に出てくるだけの生命力が入っているのだと思うと、今更ながら生命の神秘を感じ、感動を覚えました。小学生のときに朝顔の栽培なんかをやったはずですが、その時はこんな感動はなかったな~と思います。いや、覚えていないだけなのかも。。(^_^;)

食事をいただくときにも、この感動体験を忘れずに、植物や生産者さんの思いに感謝するようにしたいと思います(*^-^*)

丹波哲郎『丹波哲郎の死者の書』

年末年始のお休み中、長い間、積読状態にあった本書を読んでみました。丹波哲郎さんは2006年に亡くなられているので、若い方はご存じないかもしれませんね。あの豪放磊落なイメージを頭に浮かべながら、時にニヤリとしながら読み進めていきました。

本書は昭和62年第一刷とされています。当時は、目に見えない世界やスピリチュアルな話は今よりもずっとマイナーというか、世間からの風当たりも強かった(?)時代だと思いますが、今読んでも情報として色褪せていないように思いました。

以下、特に印象に残った部分を引用します。

…一般的に言って陽気な人間というのは、たくさんの仲間の霊に囲まれている人間である場合が多いということになる。だから、にぎやかなのである。」(P.41)

丹波さんご自身が陽気で屈託がないのは、大勢の仲間の霊たちに囲まれているからと考えていたようです。たくさんの霊に囲まれていると陽気な人間になるというのは初耳でしたが、実際はどうなんでしょうね。

「同じ霊能力を持つ者でも、それを商売にしているのと、そうでないのとでは、おのずから雲泥の差が出てくる。[中略]だんだん自分の霊能的な力で、周りのものが頼ってくるようになる。頼ってくるから、それにつれて知らず知らずのうちに職業化されてくるようになる。すると、間違いなく、その能力は落ちてくるようになるのである。」(P.90)

丹波さんによると、いつも無報酬に近い状態でリーディングを行い、生涯貧乏なままで終わったエドガー・ケーシーこそが真の霊能力者と言えるとのことです。実際のところ、霊能力を持つ者がそれを職業にすると能力が落ちるのかは私にはわかりませんし、なんらかの形で生活をしていかなければならないでしょうから、難しいところでしょうね。最近は豊かな暮らしの引き寄せを謳っているスピリチュアル業界の方も多いですが、そうした方々と霊能力というのはまた違うのかもしれません。

「そもそも理屈ではないのである。ただ、ひとつ言えることは、大昔においては、全部の人間が見えたのである。全部が全部、出口王仁三郎であったのである。」(P.116)

これは、きっとそうだったんだろうな~と思います。なんとなくですが。いつの時代かはわかりませんが、昔は誰もが様々な霊的能力を持ち、自在に使っていたのではないかと。それが、時代とともに退化していったのではないかと。でも、端からそんなことあるはずないと切り捨てるのではなく、そうであったと信じるなら、再びその能力を取り戻すことも可能なのかもしれません。

「言い換えるならば、他人を愛するということでもある。[中略]まず誰もが他人じゃないということを認識しなくてはならない。初めて人に会っても、他人じゃないんだ、自分そのものなんだ、ということに気が付かないといけない。」(P.223)

特定の宗教の信者でない人が、「他人を愛する」ことが大切という発想を持っていたことに感動しました。後段は正に「ワンネス」のことを言っているのではないでしょうか。丹波さんは特定の宗教を信じているというわけではないものの、「神」の有り難さのようなものを身をもって感じていたとのことです。私が知らないだけで、そのような認識を持つ人が他にも一定数いたのかもしれませんが、丹波さんが当時、宗教的な教えとしてではなく、「ワンネス」という意識を持っていたということは大きな驚きでした。

「私自身が『生命は永遠である』『あの世とはこういう形であるんだ』ということを感じ、おぼろ気ながらにも判りかけてきてからと、それ以前とをくらべてみると、その精神安定度は、比較にならないくらい違っている。」(P.237)

「朝も昼も夜もないのである。『永遠につながっている』のだから。朝は明るく、夜は暗いだけの話で、同じことなのだ。また朝が来たんじゃないのだ。永遠なのである。永遠に生きるのである。」(P.239)

今でこそ、この三次元の物質世界はイリュージョン、仮の世界で、非物質世界、死後の世界こそが真に生きる世界なんだろうな~と思うようにはなりましたが(それでもまだ確信する境地には至っていないかも。。)、恐らく今ほど情報がなかった時代に、肉体の死は終わりではなく、魂は永遠であるという境地に至っていた丹波哲郎さん、改めて素晴らしいと思いました。きっと霊界で更に明るく楽しく過ごされていることでしょう(*^-^*)

 

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[気づきと手放しの実践]仕事上のミス

先日、四半期に一度の重要会議の資料作りの際にちょっとしたミスをしてしまいました。ミスを指摘されたときには自分がやらかしたことには気づかなかったのですが、やり取りを重ねているうちに、自分のミスであったことに気が付きました。また、英語での会議であったのですが、自分に振られた質問にきちんと答えられなかったこともあって、そこそこ落ち込みましたorz

ミスについては素直に謝罪せねばと、直接やり取りしている議長の女性に自分が間違えたことを伝え、謝罪しました。ただ、重要な会議とはいえ、メンバー、特に議長の女性はとても優しい方なので、謝罪については全く抵抗はありませんでした。とはいえ、やはりミスをしてしまったことは悔やまれるので、これは自分にとって何を意味するものだろうと考えていました。

ちょうど並木さんの動画がYou Tubeに上がっていて、「反省はする必要があるけれども、後悔は必要ない」と言われていました。反省は次につながるもので、こうすればもっと良くなるという発展的なものであるとのことでした。失敗すると落ち込んでしまいがちですが、ここは「失敗」と捉えず、「成功への途中」と気持ちを切り替えるようにします!だって人間だもの。間違えもしますわさ(と自分に言い聞かせて)。ということで、「できない自分」という無価値観を手放します!

そして、謝罪した議長の女性からは、予想以上に温かいお言葉をいただきました。仕事上の大切なパートナーであり、いつもサポートに感謝していると言っていただき😭、会議メンバーへの報告も穏便にまとめてくれました。彼女の優しさは十分理解していましたが、今回の対応で改めて寛容さ・優しさを感じ、これからもできる限りサポートしていきたいとの思いを強くしました。今回のミスはこの事に気づかせてくれるために必要だったと解釈することにします!起きることはすべて中立、それをどう捉えるかは自分の問題ですからね(*^-^*)

現在、意識トレーニングを強化している最中ですが、先日、Twitterで次のような内容の投稿を見掛けました。

  トラブルが起こってしまった時は大切なことを思い出すサイン。

  相手を理解し、尊重していたか。感謝を忘れていないか。

  自分の正義を押し付けていないか。魔法の使い方を間違えていないか。

  自分の中に全てある。相手のせいのままでいては、

  せっかくの自身のレベルアップのチャンスを逃してしまう。

  (グリーンターラ・慈愛さん)

正にその通りだな~と思いながら、自分の意識がその方向に向いていなければ、この投稿も目に入らなかったのだと思います。認識しなければ存在しない、ですね(*^-^*)

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先日訪れた松島ー新富山からの風景

 

[気づきと手放しの実践]スーパーにて

がっつりスピリチュアルなお話です。目覚めのゲートが閉じると言われている今年の冬至まであとわずか。ここまで来たら、「自分は正しい道を進んでいるのだろうか?」という不安は手放し、「目を覚ます!」と決めて、日々の生活でできることを実践していくしかないと思っています。

ついつい忘れてしまいがちですが、目の前の現実を作り出しているのは自分であり、それには例外はなくすべてであるということをまずはしっかりと認識すべし(←自分に言っている)。そして、何か「もやっ」とするような違和感を感じたら、古い価値観や思い込み、ジャッジしている自分に気づかせてくれるために起きているのだということを、瞬間瞬間、意識するように心掛けたいと思います。そのために、日々の小さな気づきと手放しの実践について書いてみようと、ふと思いついたのでした。

先日、スーパーで起きた出来事です。色々な食材と一緒にお刺身を購入。わさびが切れていたので、ご自由にお取りくださいと置かれていた小さなわさびをいくつかカゴに入れてレジでお会計を済ませました。買い物した商品を一通り袋に入れ終わったところで、わさびが見当たらないことに気づきました。そこで、お会計をしたレジの方のところに行き、わさびがカゴに残っていないか尋ねたところ、「お刺身を小袋に入れた際に一緒に入れましたけど」とのことでした。実は、そのレジ担当の方には、前にも一度「もやっ」としたことがありました。恐らく、笑顔がなく、言い方が少しつっけんどんなことが引っ掛かったのだと思います。

そこで、考えてみたところ、「レジの方を下に見ているのではないか」、「お客様には笑顔で接するべきだと思っているのではないか」ということに気づきました。普段買い物する時にはレジの方にも丁寧に接するよう心掛けていたつもりでしたが、まだ変な思い込みがあったのだと反省。手放します!

ホントにちょっとした出来事ですが、こういった気づきと手放しを意識的に積み重ねて、波動を軽くしていこうと思います(*^-^*)

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美しい紅葉

 

パソコン無料回収サービスを利用してみました

断捨離の一環として、パソコンの無料回収サービスを利用してみました。半年ほど前にも一度無料回収を検討し、何社かのHPを見てみたのですが、その時は無料回収対象のパソコンなのか、場合によっては料金が掛かるのかよくわからず、一旦放置となりました(←よくあるパターン💦)。

少し前に広告でパソコン無料回収が流れてきたので、再び検討してみることにしました。今回利用したのは、「ライズマーク」という会社です。

回収をお願いしたいと思っていたのは、5年~10年ほど前に購入したノートパソコン2台(VaioLenovoのYoga Tablet)です。こちらの会社では買取もしてくれるようですが、うちの2台はどちらも電源が入らなくなっているので、さすがに買取は厳しいだろうと、無料回収でお願いしました。買取どころか、無料回収の対象になるかも微妙かと思いましたが、HPに記載されていた無料回収の対象機種を確認したところ、恐らく該当しているだろうと思われました。そこで、HPの案内に従って無料回収を申し込んでみました。

HPから回収をお願いしたいパソコンの台数と集荷場所、希望日を指定して依頼すると、直ぐに指定したメールアドレスに確認のメールが来ました。申込の際に機種名や型番などを記載しなかったため、「無料回収対象ではないパソコンの場合、依頼主の送料負担で返却される場合がある」との注意喚起がありました。

有料で返却となると悲しいなと思い、パソコン本体に記載されている型番らしき番号をいくつか書いてメールを送ったところ(色々な番号やら記号やらが書かれていてどれが型番なのかわからず💦)、すぐに返信があり、無料回収対象であることを確認してもらえました。ちなみに、無料回収対象のパソコンと同梱であれば、無料回収対象ではないパソコンも無料回収してもらえます。

その後、指定した日に集荷に来ていただき(宅急便と同様、ある程度の時間指定もできます)、梱包した段ボールをお渡しするだけ。伝票の記載も不要でした。集荷から2~3日して、「回収しました」という確認メールが送られてきました。

ほとんど手間なく回収してもらえて、メールでの対応も早く、きっちりしているという印象でした(*^-^*)

 

歯磨きの意識改革

普通に生活していると、歯磨きについて深く考えることはほとんどないですよね。歯磨きは日々の生活習慣の一部として当たり前のようにやっていますが、歯磨きが好きな人もいれば、面倒に思っている人もいるでしょう。私はどちらかというと後者の方ですかね(^_^;) 特に、お酒を飲んで眠くなってしまうと、面倒だな~と思う気持ちに打ち勝って歯磨きをするには結構な気力が要ります(私だけではないですよね?)

歯磨きをした後は口内がスッキリして気持ちがいいものですが、実際には、「虫歯になりたくないから」というのが、歯磨きをする一番の理由ではないでしょうか。歯医者に行って痛い思いをするのは嫌ですもんね~(^_^;)

といった感じで、これまで歯磨きについて特に考えてみたことはなかったのですが、今朝、目が覚めたとき、ふと「歯に感謝」という言葉が浮かびました。そこで気付きました。「あ~、今まで歯に感謝したことなんてなかったな~」と。今まで当たり前だと思っていましたが、毎日美味しく食事ができているのも、ちゃんと噛める歯があってこそだな~と。

という訳で、これからは歯に感謝しながら、歯を磨いてみようと思った次第です。そういう意識で歯磨きすると、いつもより丁寧に磨けそうです。この意識がいつまで続くかはわかりませんが。。

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自宅から見た空(日中と夕方)

 

ネガティブをポジティブ又はニュートラルに変換する練習

スピリチュアル的には、起こる出来事はすべてニュートラルであり、生まれてから大人になるまでの間に経験する親や学校、社会からの「刷り込み」などによって、その出来事をポジティブ又はネガティブに評価しているだけだと言われます。過去に起きた出来事についても、それをどう評価するかによって、ポジティブな経験にもネガティブな経験にもなり、事後的であってもその評価を変えることができれば、ネガティブと思っていた経験でもポジティブな経験に変えることができると。

敢えてスピリチュアル的な考え方をしなくても、年齢を重ねる中で、若かりし頃の出来事を思い返して、当時とは違った視点でその時の出来事を見ることができるようになっていたりします。苦い思い出として記憶に残っていることであっても、その経験があったからこそ、その後の人生で活かせたこともあり、今となっては良い経験だったと思うこともよくあります。そう考えれば、「失敗」や「良くないこと」というものは何もなく、全てが「良い経験」でしかないように思えます。

そういったことを頭ではわかっていても、外的な出来事に直面した時点で、物事をすべて俯瞰的に捉えることはまだできていません。相変わらず、「あ~、失敗した」とか、「今日はツイテないな~」とか思うことは多々あります。でも、何かネガティブと思えるような出来事があったときには、事後的であってもそれをポジティブな経験に書き換えられるよう、思考トレーニングを心掛けています。

今週はダンナさんが実家に帰省中で久々の独身生活を満喫しており、普段は平日使えない原付を使えるので、近場で日替わり外食ランチを楽しんでいます。予めいくつか候補をピックアップしていた中で、先日ダンナさんと行こうと思っていたインドカレーのお店に出掛けてきました。食べログではまずまずの評価だったので楽しみにしていて、お店のメニューの中から食べるものを決めていくほど気合を入れて行ったのですが、正直なところ、ちょっと期待外れのお味でした。食事をしながら、ちょっと残念な気持ちになっていたのですが、「きっとダンナさんの味覚でもイマイチと思うはずだから、一緒に来る前にお試しできて良かった」、「近くにある別のインドカレーのお店は美味しかったから、そっちに行こう」、「このところ、急に気温が下がって寒くなったけど、お店の人が言っていた以上にカレーが辛くて、すっかり体が温まった」と、がっつりポジティブに変換しました(*^-^*)

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辛口にしなければ良かったのかな。。。

恐らくリピートはないと思いますが、行ってみなければわからないですもんね。   良い経験になりました。と思っていても、時々忘れてしまうので、気を付けます(`・ω・´)ゞ